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第百二十三話 嗚呼、見タクナキコト

2013年4月18日 木曜日

 50年も生きると、見たくないものばかり見せられます。先日、あるファミリーレストランでのこと。僕が隣のテーブルを何気なく見ると、若い女性が片膝を立て、その膝に右手の肘を乗せて食事をしていました。ずり下がったジーンズからはパンツのゴムまで見えて(見せて?)います。その正面の母親らしき年配の女性は、くわえタバコでぼんやり外を眺めていました。この光景を見て、僕は思いました。「この国の行く末を憂う」というより「この国の病気はすでに末期だ」と。この親子の姿は、戦後日本の象徴です。
 アメリカ製の自由と個人主義がこの国に押しつけられて、わずか60年でかつての世界に誇れる日本人の品格は、完全に地に落ちてしまいました。身に美しいと書いて躾「しつけ」という、この美しい言葉も、その観念も、この母親には無いのでしょう。ああ、見たくなかった。「厚化粧をしてレオタードで踊る○沢○郎」と同じくらい見たくない光景でした。
 もうひとつ、「毛の生えた肉だんご」と同じくらい見たくも聞きたくもないことが僕の身近で起きました。それは書きたくもないことなので書きません。

第百二十二話 ついにラー博へ

2013年4月18日 木曜日

 みなさま明けましておめでとうございます。このコラム、恥ずかしながら本年もまだ続いております。相変わらずの稚拙なネタと駄文ではございますが、本年も辛抱強くお付き合いいただけましたら、この上もなく幸せでございます。
 さて、8年前のコラムでも紹介しました「ラー博」こと、新横浜ラーメン博物館。ラーメンフリークならずとも、広く一般の方もご存知のこの施設は、平成6年の開業以来、様々な切り口のラーメン情報を発信しながら、日本中に「ラーメン店の集合施設」と「昭和レトロ」、この二つのムーブメントを巻き起こしてきました。そして16年目を迎えた今年も、「ラーメンの殿堂」としての地位は不動のものであります。そんな、全国のラーメン店も出店をあこがれるそのラー博に、実は去る12月19日、我が大砲ラーメンが出店させていただきました。お陰様で大変盛況で、連日長蛇の列を維持しながら、この正月を迎えることができました。また、館内には、大砲ラーメンの紹介と併せて、久留米のまちや特産品等の紹介・展示コーナーも設置されており、久留米のPRの一助ともなっております。この出店が大砲ラーメンの関東進出第1号店ですが、今後は、このラー博を発信基地として、「本物の久留米ラーメン」を広く関東、そして全国に広めたいと思っています。また、そのことが久留米の知名度や、イメージの向上につながれば、いち久留米人として有り難いことです。
 何だか、新店オープンの宣伝みたいになってしまいましたが、今回のラー博出店は、様々な意義や思いがあったものですから・・・、どうぞご容赦の上、今年も寛容な心でお付き合い下さい。

第百二十一話 幼き恋心

2013年4月18日 木曜日

 なんとなく甘酸っぱそうなタイトルですが、何のことはない、オヤジが三人酒を飲みながらの昔話。その三人とは、草野町のKさん、粉屋のH君と僕です。この日は珍しく、下ネタではなく幼い頃の思い出話に花が咲きました。テーマは「芽生え始めた淡い恋心」とでもいいましょうか、最初に切り出したのは僕でした。
 それは僕が小学三年の頃でしたか、当時の小学校の机は、現在のように一人に一台ではなく、二人分が一つにつながった横長の木製の机でした。しかも、そこに座るのは男女のペア。席替えはクジでペアが決まり、否が応でもその相手と一学期中肩を並べて勉強するのです。皆、新学期の席替えの日は戦々恐々。心中「あの子とならいいな」「あの子とだけは死んでもイヤだ」と、クジの結果を祈るように見つめます。当時からクジ運の悪かった僕は、何も期待してはいませんでした。ところが、さらに人生にも期待していない僕は、自分の耳を疑いました。「カツキヒトシ君、○○トモコさん(名字は忘れた)」という先生の声を聞いたとたん九歳の僕は思いました。「人生すてたァもんじゃない」と。トモコちゃんといえば、僕が密かに思いを寄せていた可愛くて利発な女の子です。トモコちゃん自身は僕のことをどう思っているのか知る由もありませんが、そんなことは僕にはどうでもよく、その日から僕にはバラ色の小学校生活が訪れました。そんな幸せな日が続くある日のこと・・・。この話、飲み会のときの言葉を借りれば、「そいがっさい、事業中トモコちゃんから借りた消しゴムば、うっかり自分の筆箱に入れてっさい、家に持って帰っしもたったい。そいで、家でそれに気のついて、ありゃしもたーっち思ったとばってん、なんかそん消しゴムが愛(いと)おしゅうして、愛(いと)おしゅうして・・・。そんで、どげんしたち思う?俺はそん消しゴムば・・・、食うた。おう、食うてしもた。ゴムん味しかしぇんやったばってん、一所懸命食うた。で、次の日、トモコちゃんに消しゴムの所在を訊かれたっちゃけど、俺はすっとぼけた。ところがそん日から、トモコちゃんば見るたび、口の中にゴムの味がよみがえってしもて、しまいにゃトモコちゃんの顔までゴムに見えるごとなってしもた」一同大爆笑。すかさず草野町のKさんが「ソレあるある。俺の場合は、放課後好きな女子の笛(リコーダー)ば、ねぶり(舐め)まわした。ギャハハ。そしたら他の連中も、それぞれ好きな子の笛ばねぶりまわしよったげな。ワーハッハー」すると、それを聞いていた粉屋のH君がニヤリとしながら、「ムフフ・・・Kさん、その醍醐味はやっぱり、ハーモニカですよ、ハーモニカ。ムフフ」一同さらに大爆笑。こうして、幼き日の恋心(少年期の変態性?)を酒の肴に、夜も更けていきました。
 ちなみに、トモコちゃんはその後、どこか遠くの町に転校し、もう僕と会うことはありませんでした。笛をねぶられた女子も、ハーモニカの子も、KさんH君とは別の男性と結婚し、幸せに暮らしているそうです。
 今回の話、ロマンチストで憎めない、そんなオヤジたちの他愛ない話と思っていただけたら幸いでございます。

第百二十話 夢奇談

2013年4月16日 火曜日

 夢とは全く不思議なものです。意外な人間がいきなり登場してワケのわからぬ言動を演じたりします。先日の僕の夢に、突然初登場したのが、ウチの店舗にいるMという、大人しくてあまり目立たない社員です。年はもうオッサンに近いのですが、彼には何と1回りほども年下の若くてかわいい奥さん(香林亭にいた元バイト)がいます。僕が彼と言葉を交わした記憶は、その犯罪的(?)な結婚の披露宴のときと、その後の出産祝いのとき位でしょうか、そんなこれといった深い交流のないMがイキナリ僕の夢に現れて、支離滅裂なことをするのです。それはこう。「カツキ!」背後から僕を呼ぶ声が聞こえました。「呼び捨て」なので、友人かなと思って振り返ると、そこにいるのはMなのです。僕は自分の目と耳を疑って言いました。「いま俺を呼んだのはM、お前か?」するとMはニヤニヤしながら、「そうばい、俺ばい。カツキ!」ムッとした僕は静かに言いました。「もういっぺん言ってみろ」Mは「おう何度でも言うちゃる。カツキ、カツキ、バカツキ~」僕は思わずMをチカライッパイ殴りました。ところがMは鼻血をタラリと流しながら、さらにニヤけた顔で「いっちょん痛うなかばい、バカツキ!」「一体俺に何の恨みがあるとや!」僕は血液が凄まじく逆流するのを感じながら、さらにMをボコボコに殴りまくるところで目が覚めました。この日は、たまたま社内の慰安旅行の日でしたが、僕は目が覚めても、なぜか夢の怒りが収まらず、その状態で集合場所に行きました。僕が車から降りると、何と目の前にMがいるのです。思わず僕は言いました。「M、もう1回俺を呼び捨てにしてんや」Mはキョトンとしていました。
 しかし夢って一体どんなメカニズムなのでしょう?日頃、もしくはその日に感じたストレスや焦燥感のようなものが、夢のストーリーをかたち作るものなのでしょうか。是非専門家に訊いてみたいところです。ちなみに、僕は社員を現実に殴ったことは1度もありませんので、誤解無きようお願いいたします。

第百十九話 消えゆく「新世界」

2013年4月16日 火曜日

 久留米育ちで、ある程度ご年配の方ならご存じと思いますが、六ツ門の一角に「新世界」という、かつての歓楽街があります。間口わずか一間ほどの古い飲み屋がひしめく狭い路地に入ると、いきなり昭和30年代にタイムスリップした感覚にとらわれます。
 この新世界という界隈の成り立ちは、終戦直後に遡ります。昭和20年代初頭のこのあたりは「新興市場」と呼ばれ、引き揚げ者たちに生活物資を供給する、いわゆるバラック市場でした。終日、人で賑わうこの市場には、やがて食堂ができ、飲み屋ができ、昭和30年代になると、近くには映画館が建ち並ぶようになり、30年代後期には久留米随一の歓楽街となりました。ところが40年代後半あたりから、近くに「文化街」という新興歓楽街が台頭し始めると、次第に新世界の賑わいは文化街へとシフトしていきました。さらに飲み屋までが、4~5坪という狭い店と、すれ違うと肩が触れ合う狭い路地の新世界から、明るく広々とした近代的な歓楽街「文化街」へと移転を始めました。
 そして平成の時代に入ると、新世界はますますゴーストタウン化しました。最盛期には、飲み屋に限らず様々な店およそ150を擁していたこの歓楽街も、現在では約20店舗にまで落ち込んでいますが、実は僕はこのゴーストタウン化した新世界に、なぜか魅力を感じていました。それは、15年前にオープンした「新横浜ラーメン博物館」が巻き起こした「昭和レトロ」現象が根底にあります。僕が始めてラーメン博物館の昭和30年代の町並みをそのまま再現した館内を見たときは、強く感動しました。それまで「レトロ」といえば、大方「明治」か「大正」の時代を指すものでした。しかしラーメン博物館は、「そんなに昔ではない、大勢の人々が記憶に残る懐かしい『昭和』をレトロと定義」したのです。僕はその着眼点に感動しました。その後、ラーメン博物館が提唱した「昭和レトロ」は、ある種のムーブメントとなり、やがて全国の様々な商業施設で応用され、現在では「レトロといえば昭和」というイメージが広く定着したように思えます。
 そこで僕はふと思いました。「ちょっと待ってんや、ラーメン博物館のように、何十億円もかけてダミーの昭和の町並みなど作らんでも、久留米には『新世界』ちゅう本物の、生のレトロがあるやんか」と。一筋や二筋くらいの昔の町並みなら、全国どこにでもあります。しかしこの新世界は幾筋もの路地が、碁盤の目のように入り組んだ「面」のエリアです。こんなところは日本中どこにもありません。そこで僕が勝手に計画したのが、九州中のラーメンの名店を新世界に集めようという「九州ラーメン新世界計画」です。詳細は割愛しますが、要は新世界のいまの雰囲気を残したまま、ラーメン屋を中心として、駄菓子屋や古本屋・焼鳥屋・レトロな理髪店などを配してひとつの小さな昭和のまちをつくろうという計画です。そんなことをここ数年、1人でニヤニヤと想像していたら、その新世界も、先日イキナリ東半分が更地になっていました。マンションが建つそうです。久留米の片隅に奇跡的に残された町並みなんぞ残したところで、まちの経済は潤わないといったところでしょう。淋しいことです。そんな考え方が、日本中のまちを同じ景観にしてしまうのかも知れません。

第百十八話 プレミアムラーメン

2013年4月16日 火曜日

 ちょっとPRじみた話になりますが、現在、大砲ラーメンの各店では、期間・店舗限定の新商品「プレミアムラーメン」なるものを発売しております。それは店舗別に、本店は、呼び戻しスープで作った業界初の「とんこつけ麺」。合川店では、平打ち麺を使用した大砲のオリジナルちゃんぽん「ちゃんぽん拉麺」。そして昇和亭の「とん坦麺」、長門石店の「タイ風カレースープ麺」、小郡店の「みそトンコツ拉麺」、吉井・香林亭の「ホルモン拉麺」という、六店舗六種類の限定商品であります。売価はどれも680円と、久留米のラーメン相場からみれば少々高めではありますが、これは「大砲ラーメン半世紀分の感謝」の意味で、4月の発売日の2日間は、半額の340円で提供させていただきました。そのときの行列のお客様にも、これまた感謝しております。正直なところ、この高額な商品は、その半額の2日間以外はほとんど売れないのではと、懸念しておりました。ところが、それから3ヵ月、それぞれのプレミアムラーメンにも固定のお客様が付き、コンスタントに商品構成の上位を占めています。有り難いことです。
 しかし思えば、大砲ラーメンのメイン商品である呼び戻しスープの「ラーメン」は、僕の父でもある初代が創作し、現在2番人気の「昔ラーメン」、さらに「ぎょうざ」は二代目の僕が開発し、その3商品は今の大砲ラーメンの柱となっています。そしてこの度の「プレミアムラーメン」は、それぞれの店長が開発しました。今回、その商品開発には、僕は一切手を貸していません。あえて全てを店長たちにまかせました。多少の不安もありましたが、ところがどっこい、試食会のふたを開けてみると、驚きました。どれもこれも非常に完成度が高く、商品としても価値のあるものばかりでした。いつの間にか部下たちは、大きく成長していたのです。考えてみれば、多くのお客様と素晴らしい部下たちに支えられた僕は幸せ者です。この有り難みを失えばバチが当たりますね。
 かくして、そのプレミアムラーメンは、試食会の後、多少の手を加え、更に完成度を高めて4月25日、一斉にデビューしたわけでありますが、残念なことに期間限定。8月末をもって販売は終了します。そのはかなさもまた一興なのかもしれません。

第百十七話

2013年4月16日 火曜日

ファイル不明

第百十六話 あるイケメン男の話

2013年4月16日 火曜日

 20年ほど前、僕はある会社に勤めていました。そのときの同僚にSという男がいました。Sはいわゆるイケメンで頭脳明晰、加えて弁舌達者。宴会でマイクを持たせようものなら、話す言葉は立て板に水、どんな場面でも確実にその場を盛り上げる達人でもありました。雑草的存在の僕は、そのような華やかなSを羨望の目で見ていた記憶があります。
 そんなある日の夜、僕が自宅でくつろいでいると、Sから電話がありました。すると、受話器の向こうのSは、なぜかうろたえているような動揺しているような、上ずった声で、突然こう言うのです。「香月さん!ヒドイやないか!あんなエッチな写真を俺のバッグにこっそり入れて!いたずらにも程がある!」と。僕は一体何のことかワケわかりません。そして今度はいきなりSの奥さんが電話に出て、「香月さん!本当ですか?あれはあなたの浮気相手の写真なんですか?」奥さんの声は金切り声。たぶん夫婦喧嘩の最中に電話してきたのでしょう。僕はしばし考えました。そしてフッと思い出したことがありました。それは数日前、Sが僕の課にフラリと現れ、仕事で使うからと、備品の一眼レフカメラを借りていったことを。「そうか!」僕はピンときました。おそらくSは浮気相手との密会の場所にそのカメラを持ち込み、卑猥な写真を撮って、その写真を自分のバッグに隠していたのでしょう、しかし偶然Sの奥さんは、その決定的な証拠写真を見つけてしまった。
 奥さんはその証拠写真を手に、Sに詰め寄ったのでしょう。そこで頭脳明晰で弁舌達者なSは、窮地の策として、全てを僕の仕業に仕立て上げることを思いついたのです。受話器の向こうではSの奥さんが、本当にあなたの写真かとわめき続けています。僕は迷いました。ここで僕が「ノー」と言えば、結婚間もないSの家庭は崩壊するかもしれません。「イエス」と言えば、Sの奥さんは二度と僕と口を聞くこともなくなり、一生僕を変態として軽蔑するでしょう。迷った挙げ句に僕は言いました、「Sの言うとおり、それは俺の写真。ちょっとしたイタズラでSのバッグに・・・」言い終わる間もなく、受話器から奥さんの叫び声。「キャー!香月さんの変態、変態、変態?」すかさずSの、「ほらね、俺の言うとおりやろうが。香月さんはイタズラ好きで、変態なんよ」と言う声が聞こえ、電話はそのまま切られてしまいました。
 翌朝、Sはすまなさそうに「弁解の言葉」を並べ立てました。僕は遮るように言いました。「お前の頭脳明晰弁舌達者は、自己保身のために人を犠牲にするための道具なんやな」と。
 世の中には負い目を感じる相手に背を向ける人間がいるようです。Sは次第に僕から遠ざかっていきました。それから10年後、Sは全く出世することもなく、その会社を去ったそうです。

第百十五話 スナック菓子の深い話

2013年4月16日 火曜日

 びっくりしました。それはン十年前、僕が中学生だったか、初めて「キャラメルコーン」を食べたときです。パリッ・ふんわりとした食感にキャラメルの風味と甘み・・・。そして一番サプライズしたのが「ピーナッツ」の存在でした。メインのキャラメルコーンの中に隠れるように紛れているわずかなピーナッツ。それは塩味の普通のピーナッツです。これがまた甘いキャラメルコーンに合うのです。そしてそのピーナッツのほんのわずかな量が言わせません。柿の種ピーの場合、ピーナッツと柿の種が同等に自己主張していますが、キャラメルコーンの場合、袋に手を突っ込んでもなかなかピーナッツが掴めません。たまにピーナッツが掴まるとなぜか嬉しく、そこに僕はある種の感動を覚えるのです。もはや東ハトの陰謀(?)です。
 これは業界的な表現をすれば「食味と食感の対比」を応用したアイデアです。キャラメルコーンの甘みと、舌にとろける柔らかい食感の対極にあるのが、塩味の効いた固いピーナッツです。そのピーナッツを少量にしてキャラメルコーンに混ぜ込むことでそれが味のアクセントになり、食べ終わるまで飽きさせない工夫がなされているのです。要するに、カレーライスと福神漬けの関係と同じようなものです。
 僕がたまに行くお好み焼き屋があります。そこで定食を注文すると小さな冷や奴が付いてきます。その冷や奴はとても美味しいけど、本当に小さくて豆腐の半丁をこれまた8分の1ほどにカットしたくらい小さく、僕はもう少し食べたいと思いながらその希少な冷や奴を箸でつつくように少しずつ食べるので、余計にそれがおいしく感じるのです。僕はその店の冷や奴ことを「キャラメルコーンの中のピーナッツ的存在の冷や奴」と呼ぶことにしています。
 そういえば僕の知人に「キャラメルコーンの中のピーナッツ的テクニックで女性を口説く助平男」というのがおりますが、そのテクニックの内容は皆様の想像におまかせということで、今回はスナック菓子の深い話(のつもり)でした。

第百十四話 味と暗示

2013年4月16日 火曜日

 まちで見つけたおしゃれな小物を、自分の部屋に飾ってみると、何かパッとしない・・・。お店にディスプレイされているときは、あんなに素敵だったのに・・・。
 こんな経験、皆さんもおありかと思います。それはあなたが、実はお店の暗示にかかっていたのです。 店内外のデザイン、照明などによる空間演出、商品のディスプレイなど、おしゃれでかっこいいお店ほど、お客の購買意欲をかきたてる暗示のプロなのです。例えば、高価な宝石を激安量販店のゴチャゴチャした商品群の中に置いても、それは決して売れないでしょう。暗示というのは、イメージを大切にするお店の大切な要素なのです。
 食べ物屋も同じ事です。味が良いということは最も大切なことですが、高級なフレンチや懐石料理などの高価な食事を提供するお店ほど、店内の空間演出や調度品、高度な接客などで、美味しい料理を、より美味しいと感じさせる暗示の力が必要になってきます。暗示とは、演出であり、非日常感であります。
 こんな話を聞いたことがあります。ある若い女性が初めてスキーに行って、そこにいたスキーのインストラクターの男性に一目惚れをしてしまいました。そしていざ結婚してみると、なんてことない、オナラばっかりするタダのむさ苦しいオヤジだった。女性は思いました。「あのときのあのカッコイイあなたは一体どこへ?こ、こんなハズでは・・・」と。そうです、その女性はスキー場で完全に暗示にかかっていたのです。輝く白銀に囲まれて、雪焼けの肌に微笑むと真っ白い歯の爽やかな(そうな)インストラクターに手を添えられれば、どんな女性だって暗示にかかって当たり前ですね。ああ、インストラクターが羨ましい。一方ワタクシはラーメン屋。お店の演出はしますが、ワタクシ自身には誰も暗示にかかってくれません・・・。