本紙の湯元三介さんではありませんが、先だって温泉に行ってきました。そこは、まだ寒い早春の久住の山懐に抱かれた温泉です。連なる九州の屋根の山々を望みながら浸かる大草原の露天風呂はまた格別でした。そんな湯に一人のんびりと浸かっていると、リラックス効果で、色々な発想が頭に浮かんできます。
まず浮かんだのは「僕が猿だったら」ということでした。以前、雪深い山の天然露天風呂に気持ちよさそうに浸かっている野生の猿の映像を見たことがありますが、そこで思ったのが「この猿たち、風呂上がりはどうしているのだろう」ということです。猿たちは雪の中の温泉にそのまま入り、そのまま上がります。そこにはバスタオルもなく、猿は濡れた毛を凍らせながら山に帰ります。彼らは湯冷めして風邪を引かないのだろうか、僕は疑問でした。しかし考えてみれば、猿は人間の祖先といいます。その説が正しければ、僕はただの〈毛のない猿〉のはずです。そう思った僕は矢庭に露天風呂から上がり、そのまま寒風の吹く草原の岩に座ってみました。すると・・・寒い。とっても寒い。わずか二十秒で湯に戻り、もう一度トライ。またもすぐにへこたれ、三度目のトライ…、はたから見れば、素っ裸で反復作業を繰り返すタダの変態オヤジです。あきらめた僕は思いました。「野生は不思議だ」と。
やがて頭の中で「不思議シリーズ」が始まりました。「野生といえば、ワシやタカなどの鳥は、木の上にうまく巣を作るけど、ヒナが風雨にさらされるのがわかっていながら、なぜ屋根を作らないのだろう…不思議だ。巣と言えば、アリの巣は雨で水没しないのかな…不思議だ。モグラのトンネルには落盤事故はないのかな…不思議だ。地中に生き埋め状態のミミズが窒息しないのはなぜだろう…不思議だ。マムシやハブなどの毒蛇は思わず舌をかんだりしないのかな…不思議だ」さらに頭の中は取り留めのない状態となり、「もうすぐ夕食か…、浴衣でいいのかな…浴衣といえば、朝起きたら腹に帯だけ残し、全部背中にまとまっているよなぁ…浴衣という世界一不便な寝巻きも…不思議だ」…などと具にもつかないことを思い巡らせながら部屋に戻ると、この宿は浴衣ではなく、オリジナルのジャージでした。「良い着眼点だ」
ということで、今回もワケのわからないコラムになってしまいましたが、要するに、町の埃と喧噪で疲れた心身を癒し、かつ想像力を高めてくれる空間といえば、日本人にとっては、やはり自然に囲まれた温泉でしょう。かつての文豪たちの執筆の場も温泉でした。ただしその作品に猿やモグラは出てきませんが…。
そして、温泉の帰りには「その土地のラーメンを食べて帰る」ということもお忘れなく。
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第百〇三話 露天風呂の効果
2013年4月16日 火曜日第百〇二話 パブロフの犬
2013年4月16日 火曜日 職業病というか、同じ言動を繰り返す仕事に従事していますと、思わぬところで無意識に変な行動をして、恥ずかしい思いをすることがあります。サービス業の場合、接客業務には、いわゆる「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」などの基本用語を、仕事中幾度となく繰り返します。その結果、仕事が休みのときでも、あらぬところで〈基本用語〉が口から飛び出してしまうことがあります。
これは僕の母が、まだラーメン屋のオバチャンとして現役のころの話です。ある日、母がバスを降りようと、料金を払いながら思わず運転手と目を合わせたとたん、何を思ったか、運転手に向かって「いらっしゃいませ」と言ってしまったそうです。そのときの母の言葉を借りれば、~「あたしゃガバ恥ずかしかった。同じ口グセでも〈ありがとうございました〉なら運転手さんにも通じるばってん、そいが〈いらっしゃいませ〉ばい、一番カンケイナイ言葉ばい、そいもハッキリと言い切ってしもたとばい。あたしゃ顔から火の噴き出すごたった」~げなです。ラーメン屋ならではの条件反射的現象です。
ラーメン屋といえば、うちの店には多くの学生さんがアルバイトしてくれていますが、高校生のバイトさんが間違えて「店長」のことを「先生」と呼ぶことがよくあるそうです。またある主婦のパートさんは、お客さんに注文を尋ねるときに、「セットはごはんとおにぎりがございますが、どちらに・・・」というべきところを、「セットはごはんと味噌汁がございますが」と言ってしまい、主婦ならではの言いそこないに、周りのスタッフは皆ずっこけたという話もあります。
かく云うワタクシも子供時代、バスを降りるときの母以上の条件反射的恥体験があります。
それは小学三年生のころ、父と行った銭湯でのこと。うつむいて頭を洗い終えたばかりの僕の後ろから「均」と呼ぶ父の声がしました。僕が振り返ると、目前に父の股間がありました。「何ね」僕がその見慣れた股間に尋ねると、その股間は何も言いません。すると今度は左の方からから「ちゃんと首まで浸かれよ」という父の声がします。実は父は横で頭を洗っていたのです。僕が恐るおそるその股間から上方に目を転じると、そこには違うオヤジの顔がありました。僕は見ず知らずのオヤジの股間に話しかけていたのです。その知らないオヤジはけげんな顔をしています。僕は思わずその股間に「ゴメンナサイ」と言いました。
僕はそれ以来、人と話すときは股間ではなく〈顔〉を見て話すということを心に決めました。
いま思い出しても「顔から火の噴き出すごたる」体験でした。
古今東西老若男女、みんなパブロフの犬なんですね。
第百〇一話 不健康自慢
2013年4月16日 火曜日 僕は酒もタバコもハライッパイやる不健康な人間です。でも破滅型ではないようです。その証拠に僕の趣味は、魚釣りを除けば「病院通い」だから。酒とタバコでくたびれた躰を病院でアレヤコレヤ検査するのが趣味なのです。「しもた、今月はγGTPが三桁になっとる。よし、今日から一週間、焼酎のお湯割り三合を二合半にしてむう(休肝日はない)」とか、「げっ、胃に穴の空いとるげな。よし、今日から穴のふさがるまで、タバコは1mgにしょうかにゃ(結局吸う)」など、決して良くはない検査結果に一喜一憂しながらも、それなりに対処はしているのであります。僕の酒タバコ好きは、やはりオヤジから受け継いだDNAに起因しているようです。そして病院とタバコといえば、オヤジにまつわるある体験を思い出します。
十年前に六十三の若さで亡くなったオヤジは、僕以上に、飲む酒の量もすさまじいものでした。ただし僕と違って、大の病院嫌い。そのせいで、ガンの発覚は自覚症状が現れてからで、幾度となく手術と入退院を繰り返しながら、九年に及ぶ闘病ののちに亡くなりました。
具合が悪いときは、オヤジもさすがに躰が受け付けないらしく、酒は欲しがりませんでした。しかしタバコの場合は別のようで、こんなことがありました。
手術の直後、オヤジはICU(集中治療室)に入りました。麻酔が覚めたころに、僕が様子を見に行くと、オヤジは凄い形相で僕を睨みつけるのです。「どうしたと?」僕が訊ねると、「痛い」も「苦しい」も決して言わないオヤジが言いました。「タバコくれ」と。ここは絶対禁煙のICUです。周りには精密な医療機器がズラリとあり、他にも予断を許さない患者さんがいるのです。当然僕は拒否しました。すると、更に恐ろしい顔で「タ・バ・コ!」。僕は生まれてからずっと、この顔には逆らえない教育をされています。ヘビに睨まれたカエルの僕は、瞬時に思考と判断力が雲散霧消、無意識にタバコを一本取り出し、火をつけてオヤジの口にくわえさせました。するとどうでしょう!この部屋はカメラで監視されていたのでしょうか、バタバタと人の足音が聞こえたと思いきや、数人の看護婦さんが部屋に飛び込んできて、オヤジの口からタバコを抜き取るや否や、「ここは集中治療室ですよ!精密機器が沢山ある部屋ですよ!あなたはお父さんと他の患者さんを殺す気ですか!」と、僕は叱られたわ、怒られたわ、がられたわ・・・。オヤジといえば、ひとり責められている息子を見ながら、知らーん顔をしていたのです。
やがて術後の経過も良く、軽い散歩もできるようになったオヤジはある日、酒飲みの嗅覚とでもいいますか、病院の近くに角打ち(立ち飲み)ができる酒屋を見つけました。オヤジにとっては猫にマタタビです。まだ傷口もふさがっていない腹に大量の酒を流し込み、泥酔状態で病院に戻ったところを院長に見つかってしまい、翌日にはその病院を追い出されてしまいました。
そんなことを思い出しながら、僕はもう五本目のタバコに火をつけているようです。このコラムを書き上げたあとの一杯も楽しみです。
きょうは朝から雪が降っています。
こんな日は鍋をつつきながらの一杯がこたえられませんねぇ・・・。
第八十三話 卒業写真
2013年4月15日 月曜日 その昔、僕がミュージシャンなるものをめざしていた一時期、聴くのはもっぱら洋楽でしたが、邦楽にも好きな曲がありました。そのなかに「卒業写真」という曲があります。そう、ユーミンこと松任谷由実さんが“荒井由実”時代の一九七五(昭和五〇)年に書いた不朽の名曲です。僕がこの曲を初めて聴いたのは、青春真っ盛りの一七才の頃でした。美しいメロディもさることながら、何といっても心に染み入るその歌詞の素晴らしさに、多感な年頃の僕は身震いしたのを憶えています。歌詞を紹介します(なぜか空で書ける)。
~卒業写真~(作詞・作曲:荒井由実)
悲しいことがあると開く皮の表紙
卒業写真のあの人は優しい目をしてる
街で見かけたとき何も言えなかった
卒業写真の面影がそのままだったから
人ごみに流されて変わってゆく私を
あなたは時々 遠くで叱って
話しかけるように揺れる柳の下を
通った道さえ今はもう電車から見るだけ
あの頃の生き方をあなたは忘れないで
あなたは私の青春そのもの
人ごみに流されて変わってゆく私を
あなたは時々 遠くで叱って
あなたは私の青春そのもの
いかがでしたか?美しいメロディと共に、皆さまそれぞれの情景が浮かんだことでしょう。
最近は、言葉(歌詞)はサウンドの一部という考え方なのか、やたら英語と意味不明の日本語を無節操に散りばめながら、それを無国籍な発音でまくし立てるように歌う歌が氾濫していますが、当時の歌は、美しくそして無駄も不足もない言葉の一つひとつを、丁寧に旋律に乗せて作られていました。いわば歌詞と旋律のバランスが最もとれていた時代でした。中でも「卒業写真」は完璧なまでの情景描写と物語性、そのきれいな旋律も一度聴いただけで心に残る名曲の一つであると思います。僕の中では、伊勢正三氏(かぐや姫)の名曲「なごり雪」と双璧をなす作品であります。
ところで今回のコラムがなぜ「卒業写真」なのか?ちなみに「なごり雪」は五年前、大林宣彦監督により大分の臼杵を舞台に映画化されました。そこで皆さん、たとえば「卒業写真」を主題歌にした映画がもしあれば、ぜひ観てみたいと思いませんか?しかも、その映画の舞台が地元・久留米だとしたら・・・。
第百話 夢でみた夢
2013年4月15日 月曜日 劇の中で、別の劇が演じられることを〈劇中劇〉といいますが、夢の中で別の夢をみることがあります。〈夢中夢〉とでも言いましょうか、今回は、最近僕が見た夢の話をひとつ、小説風にお話ししましょう。
~ 私は六才の少年。父の屋台の前の歩道にチョークで絵を描いていると、突然ギャングが現れた。そのギャングは黒いソフト帽を被りながらも、歌舞伎に出てくる黒子の格好をしている。顔を隠す黒い垂れ布には白い太い字で〈?〉と書かれている。変なギャングである。ギャングはおもむろに私を拉致しようと抱きあげた。「父ちゃん助けてー」私はもがきながら弾みでギャングの?マークの覆いを引き剥がした。そこに現れた顔は、なぜか五木ひろしだった。ようやく父が屋台から現れた。なぜか父は右手に唐草模様の風呂敷、左手に緑色のジュースのビンを持っている。「ちょっと待っとけ」父は側のクリーム色の電話ボックスに入り、何かいそいそやりはじめた。風呂敷から衣装を取り出し、着替えているようだ。私とギャングは呆然と父の作業を眺めている。やがて電話ボックスのドアが静かに開いた。現れた父のコスチュームは凄かった。
上半身は青地のピッタリ長袖シャツに、胸には目にも鮮やかな赤い〈S〉のマーク。スーパーマンである。しかし予算の都合か、下半身は茶色の腹巻きと福助のモモヒキ、ブーツは黒のゴム長。顔を覆うマスクは夜店で買った〈オバQ〉のお面。変態そのものである。
ギャングは私を抱いたまま腰を抜かした。二人を見下ろす父の背には唐草模様のマント(衣装を包んでいた風呂敷)が風になびいている。私を手放して後ずさりするギャングに向かって父は言った。
「もうちょっと待て」 父は持っていた緑色のビンを突きだした。
「これはホウレンソウ一〇〇パーセントの炭酸飲料だ。今からこれを一気に飲み干す」
まるで罰ゲームだ。
ジュースを飲み終えた父は、不敵な笑みをうかべて言った。
「フッフッフ・・・ゲップ。俺はスーパーマンでもポパイでもない、ゲップ。実は!」
いきなり父はモモヒキをずりおろした。
「父ちゃんやめて!」私は目を伏せた。歩道には父の衣装が次々と脱ぎ捨てられていく。
恐るおそる私が目を開けると、そこにはホウレンソウのジュースで緑色に染まった〈胃袋〉だけが宙に浮いていた。不気味である。そしてその胃袋は言った。「透明人間なのだ!ゲップ」胃袋はユラリと揺れた。
面妖である。ギャングは奇声を発して逃げ去った・・・。
六才の私は二段ベットの上で、びっしょり寝汗をかきながら寝言を言った。
「父ちゃん・・・それなら最初から変な衣装は必要ないやん・・・」
父は床にあぐらをかき、酒を飲みながらベットを見上げてつぶやいた。
「寝言か、フッ・・・変な夢でも見たか・・・ゲップ」 ~
何の教訓にもならない、そんな夢の話・・・大変失礼しました。
第九十九話 吾輩の顔である
2013年4月15日 月曜日 吾輩の顔は濃い。
映画「卒業写真」の瀬木監督曰く「エキストラで出演しても役者を喰ってしまうほど濃い顔」らしい。いわばソース顔というよりトンコツ顔である。
飲み屋のお姉ちゃんたちに言わせると、この顔を好むお姉ちゃんは「佐藤浩市」とか「石橋凌」に似ていると言う。ごく少数の奇特なお姉ちゃんである。一方この顔を好まないお姉ちゃんたちは皆、口をそろえて「吉幾三」ソックリという。そして必ずカラオケのリクエストが始まり、結局「俺ら東京さ行ぐだ」を歌ってしまう自分が悲しい。先日も一風堂・河原氏の誕生会で、居並ぶ有名人の前でソレを歌ってしまい、しかも大変ウケてしまった状況が、微妙に悲しい。また、ときおりテレビに出ている自分を見ると、やはり吉幾三に似ていると思ってしまう自分自身が、底抜けに悲しい。
顔にランク付けをするなら、この顔は間違いなくB級と思う。しかし、これからは間違いなくB級の時代である。C級はさておき、A級は、毎日食べるには経済力を必要とし、しまいには飽きてしまう高級料理のようなものである。しかしB級は、経済力も必要とせず、毎日食べても飽きない「久留米ラーメン」や「筑後うどん」のようなものである。さらに、食べるほどにその味の深みにハマってしまう。
我がまち久留米は、ラーメンやうどんのみならず、焼き鳥、屋台などの地元独自の食文化がひしめき合う「B級グルメのまち」でもある。そしてそれを全国に発信しようとする動きがある。それは、全国各地のB級グルメが一同に会し競い合うという、まさにB級グルメの夢の祭典である。その名は「B-1グランプリ」。
地元がキナ臭い事件の舞台となり、暗い記事がマスコミを騒がせている昨今、この祭典がかつての「ラーメンフェスタ」のように、明るい話題を外に発信できれば素晴らしいと思っている。
やはり時代は、もはや「顔」も「食」もB級である。いっそのこと、全国のB級顔の持ち主を一同に集めた「B級-顔フェスタ」なるものも同時に開催すればよい(キモチ悪!)。
吾輩の入賞は間違いないだろう。
第九十八話 盛り塩の話
2013年4月15日 月曜日 「塩」それはあらゆる料理に必要不可欠な調味料でありますが、また塩は、日本古来より「お清め」の神事にも欠かせないものでありました。現在でも、塩を撒いて土俵を清める力士を見るたび、相撲が「神事」であることを改めて感じさせてくれます。そして「盛り塩」と言えば、料理屋の玄関先やスナックの入り口の両脇に盛られている、あの塩のこと。辞書で調べると「門口を清め、縁起を祝うために塩を盛ること云々~」とあり、別名「清め塩」とも「盛り花」とも言うそうです。ところがこの盛り塩、その由来は「お清め」でも何でもない、少々艶めかしい話からその端を発しているのです。
ときは中国、秦の時代。中国全土を支配した始皇帝には、それは沢山のお妾さんがいました。楊貴妃のような超ベッピンさんから、少々アウトレットな顔立ちのひと、細め、太め、ロリータから熟女まで、多種雑多なお妾さんが、“始皇帝お妾さんリスト”に登録されていました。そのお妾さんたちは、後の日本の“大奥”のように殿中の同じ屋根の下で共同生活をするのではなく、広大な宮中内のそれぞれの部屋(家)で暮らしておりました。お妾さんたちは「皇帝の寵愛を何とか自分のものにしたい」という思いで必死でした。いつ自分のところへ皇帝が現れてもいいように、来る日も来る日も美しく着飾り、勝負パンツを履き(?)、万全の体制で皇帝を待っていました。皇帝といえば悠長なもので、お妾さん宅へは
…という話が「盛り塩」の由来と云われています。どうぞ読者の貴兄、盛り塩のあるスナックでママを口説くときの話のタネにでもして下さい。ただし、そのママからの寵愛を一身に集めることができるか否かは、貴兄のウデ次第ですが…。また、飲み屋へは皆さん牛車で行くといいですね(そんな車、どこで売っとるんかい!)。しかも歓楽街には「牛車以外乗り入れ禁止地区」という条例ができればさらに面白いですね。飲酒運転撲滅の一助にもなりますし、時速3kmという“牛歩”では交通事故の起きようもありません。そして何と言っても、夜の歓楽街のあちこちに、塩を舐めるウシと牛車がある風景は壮観です。
第九十七話 大日本停電計画
2013年4月15日 月曜日 現在、僕の店はどの店も従業員不足です。これはラーメン屋に限らず、飲食業全体が抱える共通の悩みのようです。その原因は、まずは少子化にあります。加えて昨年あたりから団塊世代が定年期を迎え、それにともなう企業の新規雇用の間口の広がりが、いわゆる3K職場といわれる業界へのわずかな応募者をも吸い取っているという現状もあります。しかしながら、この国に少子化という問題さえなければ、どんな業界にも人はまんべんなく流れ込み、国の産業は維持し発展するものです。夫婦が最低二人以上の子供を作らなければ、やがて近い将来、就労人口(働ける人たち)と非就労人口(働けない人たち)が逆転して国は完全に破綻し、日本は消滅してしまいます。この問題に対して国もいろいろな対応策を模索しているようですが、それは出産や育児の費用等の経済的支援が中心のようです。はたして夫婦が積極的な子作りをしないのは経済的な問題だけなのでしょうか? であるなら、決して経済的に豊かとはいえない途上国の夫婦が子沢山というのは?
やはり最大の問題点は我が国の「夫婦の価値観」でしょう。「子育てよりも仕事が好き」「夫婦だけでもっと楽しみたい」「子供より自分の人生」最近このような価値観の若い夫婦が増え、その価値観がそのまま少子化という現象に繋がっているのではないでしょうか。ではなぜ多くの日本の若い夫婦がこのような価値観を持つようになってしまったのか。その元凶はやはり戦後の教育にあるようです。占領軍が残して行った“アメリカ的自由(快楽)主義”と、革新系の人たちから刷り込まれた“日本的伝統の排除と個人の権利意識”、そのるつぼの中で育った子供たちが長じて、摩訶不思議な価値観を持つ夫婦が増えてきたのかもしれません。もう、ウカウカしていられません。政府の子育て支援もどれほどの効果があるのかわかりませんし、特効薬にはなり得ないでしょう。そこで僕は考えました。市井のラーメンおやじのアイデアですが、題して「大日本停電計画」。
以前アメリカで本当に起きたことですが、一九六五年、ニューヨークが大停電に見舞われました。するとその九ヵ月後のある日、ほとんど同時にニューヨーク中で赤ちゃんの産声が上がったのです。調べると、市の出生率が三割も増加したそうです。もうおわかりですね、テレビもラジオも使えない暗い部屋で、あかりは一本のローソクだけ。ゆれる小さな炎越しにいるのは見慣れたはずのカーチャンだけど、今夜は何やら色っぽく見える…。トーチャンのハゲ頭だって闇にとけ込んでいるから若くてダンディ…。出会った頃を思い出した夫婦はやがて自然に…。そう、停電は回春剤でもあるのです。
コレです。我が日本も国を挙げてコレをやるのです。夫婦の価値観もへったくれもありません。具体的計画内容として、まず何月何日は年に一度の全国大停電の日と定めます。ただし医療や救急などの国民の命や健康に関わる機関だけを例外とし、それ以外は会社も商店もすべてその日は十八時で休業。同時に戒厳令が布かれ、国民は一切外出禁止。十九時、子供および高齢者は就寝。二十時、全国の送電が停止。あかりは一部屋一本と決められたロウソクのみ。パソコンもゲームも禁止(というか出来ない)。風呂はOK(これは効果的で実用的)。そう、このたった一晩の国家行事でイキナリ国民の出生率が三割アップは間違いなし。やがて新生児が生まれ、その子の受精が全国大停電の日であることが証明されたら、政府から「百発百中で賞」として“フィラメントが切れた電球を抱いた赤ちゃん”の銀メダルが授与される、それが双子なら金メダル。三つ子以上なら、天皇陛下より菊のご紋入り純金製ほ乳びんが下賜。
どうです、これぞ少子化問題起死回生の特効薬とは思いませんか? ときに停電は国家を救うのです。
第九十六話 転換期
2013年4月15日 月曜日 このコラムは、ラーメン町おこしがきっかけで始まりました。久留米の皆様ご存じの“ラーメンフェスタin久留米”の主催団体である“久留米・ラーメンルネッサンス委員会”の発足当時、本紙の代表者・筒井氏から「ラーメンで町おこしっちゃ面白か。アンタはラーメン屋ばってん、紙面の一角ば貸すけん、そんテーマでコラムなっと書かんけんやん」というお声掛けをいただいたのです。
そんないきさつで平成一一年四月にスタートしたこのコラム、当時の内容はラーメン町おこしの意義やルネッサンス委員会の趣旨、市内のラーメン屋さんへのラーメン町おこしに対する協力要請など、いわば広報的ものでありました。いま読み返すと、八年前の稚拙な文章に恥ずかしさを覚えながらも、「(宮崎の知事じゃないけど)このまちを“どげんかせんとイカン!”」という強い思いは感じる気がします。そして同年一一月の“第一回ラーメンフェスタin久留米”は一四万人の人を集め、大成功しました。その感動の傍ら、フェスタの広報的な存在だったこのコラムに対し、僕はその後のネタに悩みました。仕方なく個人的な経営の話やら、自分のテレビ出演時のウラ話やら、ついにはラーメン好きの宇宙人というワケのわからん話まで登場・・・。ついにコラムニスト(?)H.Kも、そろそろ筒井氏に肩をたたかれる時期かなと思い始めたころ、なぜか「お前のコラムはオモシロかにゃー」という読者の声が届き始めたのです。おだてられれば木にでも何にでも登る僕です、しかもラーメンそのものにとらわれず、ラーメン屋のオヤジが感じたことを自由に書けばいいという開放感。そんな有り難い状況に後押しされながら、今までナントカ続いております。感謝。
さて、このコラムの誕生に関係深いラーメンフェスタも、実は今年からしばらく充電期(休止)に入ります。というのは、本来僕たちが目指すラーメン町おこしは“一年中ラーメンを感じさせる町づくり”でした。たとえば、とんこつラーメン発祥のモニュメントがあったり、あのレトロな“新世界”がラーメン横町だったり、市内のラーメン屋さん皆でラーメンスタンプラリーを実施したり…etc。そんな町づくりです。ラーメンフェスタは「とんこつラーメン発祥地は久留米ですよ」というメッセージを日本中に発信するためのものでした。当初は、そのフェスタによる情報発信は三回(三年)でよいと考えていました。ところが「国民文化祭」からのお声掛かりがあり、結果的にそのまま毎年フェスタを開催しながら、六回目(平成一七年)に国民文化祭のいち催事としての最大級のラーメンフェスタを実施しましたが、この時点で“とんこつラーメン発祥地は久留米”という情報は、全国的にほぼ認知されるに至り、当初の「情報発信」という目的は達成されました。
しかしフェスタの実施と同時に進行すべきであったモニュメントなどの常設の施設計画は、正直なところ年に一度のフェスタの開催に、凄まじくエネルギーを使い切ってしまう状況のなかでは無理がありました。
ところが最近、ラーメンを楽しみに久留米に来訪した人たちは、皆とまどっていると聞きます。久留米の駅に降り立っても、ラーメンのモニュメントもなければ案内板もない。ラーメンご当地なら、そこかしこに置いてあるはずのラーメンマップも、どこにあるのやら。来訪者はとまどいながら、交番のおまわりさんやタクシーの運転手さんに尋ねるしかないそうです。要するに、来訪者への受け入れ体制が全く未整備なのです。情報というボールを投げっぱなしで、返ってきたボールを受ける者(物)がいないというのは、何とも無責任な話です。僕たちはいま反省を込めて思っています「再び“どげんかせんとイカン!”」と。
いま、久留米のラーメン町おこしは大きな転換期です。そして今回、このコラムは百話目を迎えました。
第九十五話 初代雑食記
2013年4月15日 月曜日 若いお嬢さんたちの会話で“食べ物”は古今東西の定番ネタ。しかし、飽食の時代といわれる昨今では、その会話の中に“キライな食べ物自慢”という新ネタが加わったようです。「私、アレがニガテ」「そ~私もソレ、キラ~イ」「アレもキモ~イ」などと、出るわ出るわキライな食べ物のフルコース。戦後の食糧難当時の人が聞けば、張り倒してやりたい会話でありましょう
僕はよく社員たちに伝えています「食べ物の好き嫌いの多い奴は、食べ物屋で働く資格はない」そして「食べ物の好き嫌いは、人間への好き嫌いに直結する」と。
そこで久々にご登場願うのが、大砲ラーメンの“初代”こと、僕のオヤジであります。
オヤジの場合、食べ物の好き嫌いが皆無というより、イノシシのような雑食性というか、人がふつう食べないものまで平気で食べる、悪食のプレデター(捕食者)でありました。
僕が子供の頃の夏は、よく家族で高良内の谷川に遊びに行きました。そこは久留米市内を流れる小さな野川・高良川の源流です。冷たく、清らかなせせらぎには沢山のカワニナ(小型の巻き貝:ホタルの幼虫のエサになる)や沢ガニがいます。水遊びをしている僕たち兄弟の横で、オヤジはせっせと川原の石でカマドを作り、枯れ木や流木の焚き火の上に、川の水を入れた飯盒を乗せています。それが沸騰すると、そこらで沢山とれたカワニナと一つまみの塩を放り込み、一煮立ちさせたら“カワニナの塩ゆで”の出来上がり。その食べ方といえば、細長い円錐状の貝の頭を五円玉の穴に差し込み、頭の先をポキッと折ります。その折れた殻のところの口をあて、ちゅるりと中身を吸い込むのです。何とも野趣あふれる食べ物ですが、これがなかなかウマいのでありました。ところがオヤジはカワニナだけでは飽き足らず、今度は川の中の石をそこら中ひっくり返して、沢ガニを捕りはじめました。僕がそれも煮るのかなと思いきや、あろうことか、そのカニを生きたまま口に放り込み、バリバリと噛みはじめました。オヤジの唇からはカニのハサミが出ています。そのハサミはまだ動いています。僕たちが驚きと恐怖で見つめていると、オヤジはそのハサミを指でヒョイと押し込み、何食わぬ顔(食ってるくせに)で生きた沢ガニを平らげてしまいました。~ちなみに沢ガニには寄生虫がいることもあるので良い子のみんなはマネしないでね~
こんなこともありました。猫という動物は、捕らえた小動物などの獲物はすぐには食べずに、親猫や飼い主の前に持って行き、自慢げにその獲物をもて遊ぶ習性があります。ある日うちのタマ(日本一ありふれた猫の名)が、一羽のスズメを捕らえました。タマも例にもれず猫の習性どおりに、そのスズメを飼い主に見せに来たのです。それがタマの不幸でした。飼い主であるオヤジは、タマのスズメをヒョイと取り上げると、いきなり羽毛をむしり取り、ガスコンロであぶってペロリと食べてしまいました。その一部始終を見ていたタマは、ただ呆然。苦労の末にやっと捕らえた自分の獲物を平気で横取りして平らげる、そんな飼い主に愛想を尽かしたのか、その数日後にタマは家出してしまいました。
このような悪食プレデターのオヤジでしたが、偏食を許されない環境で育てられた僕たち兄弟は、おかげで食べ物屋を営む最低条件は身に付きました(と言うより、オヤジに食べ物の好き嫌いを言おうものなら、僕たちは沢ガニやタマのスズメにされていたでしょう)。
いまの若い人たちに、うちのオヤジのような“ゲテモノ喰い”まで押しつけるつもりはありませんが、清流のカワニナや、小川の芹、山里の野いちごのジャム、海の磯に行けばナンボでも獲れるミナなどの貝類など、スーパーやコンビニに行かなくても、美味しくて、しかも無添加の食べ物がまだまだ野山や海には沢山あります。それを知ってほしいですね。・・・本格的な食糧危機が来る前に。