‘ラーメン今昔物語’ カテゴリーのアーカイブ

第二話 目覚めよラーメン屋

2012年12月16日 日曜日

 「久留米のラーメン屋よ、今こそ故郷復興の原動力となれ」また「その受け皿として“久留米・ラーメン ルネッサンス”という 町おこしの組織も生まれた」そんなことを前回書かせていただきました。実際この動きは、各マスコミの報道によって 全国的にも注目され始めています。
 しかし、肝心要の久留米のラーメン業界の意識はどうなのでしょうか、若干の不安があります。 僕は生まれた時から久留米のラーメン屋で育ちましたので、ラーメン屋のオヤジさんたちの体質がよくわかります。例外もありますが、まず

・業界内の連帯意識がない。
・他店への敵対意識だけは強い。
・「うまけりゃ良い」それ以外は頭にない。
・自分のラーメンが一番と思いこんでいるから、何か言われりゃスグ怒る。
・そのくせ研究心がない。
・流行にうとい。
・人の話を聞かない。
・演歌が好き。

 ・・・ざっとまあこんなもんです。
 以降はさておいて、とにかく、これは久留米のラーメン業界内では根深いようです。重大な問題です。もうすでにラーメンまちおこしは動き始めました。やがて久留米中のラーメン屋さんに様々な協力(金銭要求はありません)の依頼が来るでしょう。 そこでラーメン屋さんたちにお願いです。どうぞ気持ちよく協力してやって下さい。 どうか「そげなことして儲かるとや」とか「あの店が入っとるならウチはやめとく」などとは言わないでほしいし、思わないでほしい。「自分だけ」の時代は終わりました。これからは「輪(ネットワーク)」と「和(調和)」の時代です。いま久留米は不況にあえいでいます。そこでラーメン屋のオヤジさんたちに「町の救世主たれ」とまでは言いません。せめて「町に恩返し」というスタンスで協力してほしいものです。
 イキナリですが、黒澤映画「七人の侍」のあるシーンの話・・・ 戦国時代、ある村の村人たちは、野武士たちの襲撃から村を守るため、村で雇った七人の侍たちの指導のもと、日々厳しい戦闘訓練を繰り返していました。
 そんなある日、集落から離れた家に住む三人の村人が「自分の家は自分で守る」と訓練を拒否したのです。そのときの侍頭“勘兵衛”のセリフ、(抜刀しながら逃げ回る三人を追いつめ)「村を取られて離れの生きる道はない。」そして「人を守ってこそ自分を守れる。己のことばかり考える奴は己をも滅ぼす奴だ。」
 グッときましたこのセリフ。この一言で離れの三人が目覚めたのは言うまでもありません。
 いま久留米の町をこの映画の“村”にたとえるなら、押し寄せる“野武士”は「不況」かもしれません。 そこで「ラーメン業界」が“離れの三人”になってもらいたくはないのです。やがて久留米が元気になったとき、その結果として、ラーメン業界全体の意識も技術もレベルアップしているはずです。そして「久留米商人の歩いたあとは草も生えん」とは誰も言わなくなっていることでしょう。

第一話 ラーメン今昔物語

2011年11月14日 月曜日

 昭和33年、明治通りの一軒のラーメン屋台、ここの豚骨スープを産湯に僕は生まれました。戦後、日本の国が一番元気がよかった頃のことです。
 「神武景気」と呼ばれたこの時代、僕のオヤジも狂ったように元気がよく、酒を飲むと毎日“ちゃぶ台クラッシュ”、僕も母も生傷が絶えず、人は僕の父を“ラーメンの星一徹”と呼んでいました。 僕は小さい頃から“麺揚げ養成ギブス”をつけられていた・・・というのはウソです。
 当時の日本は、暗い軍国主義と敗戦の記憶を弾き飛ばすかのような急激な経済発展を背景に、国中が夢と希望に満ちあふれた、まさに民主主義の青春時代でした。久留米のまちも例外ではなく、昼の商店街を歩いても、夜の歓楽街を覗いても、まち中がまるで“毎日お祭り状態”という元気なまちでした。
 そんな“時代のお祭り騒ぎ”のなかで、久留米のまちに静かに花を開き始めた小さな「文化」がありました。それは、皆様ご存知「豚骨ラーメン」であります。
 豚骨ラーメンは、さらに時代を遡った昭和12年、久留米の屋台「南京千両」から発祥したといわれています(ちなみに僕はここの息子ではありません)。 当時「支那そば」と呼ばれたその豚骨ラーメンは、後の大戦を生き残り、戦後の久留米中の屋台に広がって、やがて県境を越えて九州各地に伝わりました。当然レストランなどない終戦直後の久留米のまちで、ふるさと復興の原動力となってチカライッパイ働いたオトーサンたちのお腹を満たしてくれたのが、屋台で食べる一杯40円の豚骨ラーメンでした。
 時は流れ、現在の久留米のまちに当時の面影はありません。あの頃の元気はどこへいったのでしょう。
そこで僕たちは考えました。「もしかしたら“ラーメン”が再び久留米復興の原動力になってくれるかもしれない」と。また、「僕たちラーメン屋を育ててくれた久留米まちに今こそ恩返しするときではないか」と。そして今年発足したのが、全国初の、“民・官・学”が一体となったまちおこし組織 「久留米・ラーメン ルネッサンス委員会」であります。