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◆◇◆  ラーメン今昔物語 ~伝説の清陽軒~  ◆◇◆  

 今年の4月、久留米の諏訪野町に「清陽軒」というラーメン屋さんが新たにオープンしました。地元のラーメンフリークや、ご年配などには「伝説のラーメン屋」としてご存知の方も多いようですが、実はこの店、我が大砲ラーメンの原点の店なのです。清陽軒は、昭和27年、明治通りの第一勧業銀行(現みずほ銀行)前に誕生した1軒の屋台でした。ここを営んでいたのが、大砲ラーメンの初代で僕の父でもある香月昇と、その兄の香月浩の2人でありました。まだ二十歳そこそこの、若い元気な兄弟の作るイキのいいラーメンは、たちまち夜の町の評判になり、瞬く間に繁盛屋台となりました。併せてイケメンだった2人は「アノ香月兄弟」として、これまた夜のお姉ちゃんたちを騒がせたものでした(ちなみに2人の当時の写真が、オープンしたばかりの清陽軒の入口に飾られています)。やがて兄弟は、それぞれ所帯を持つことになり、話し合いの上、弟の昇の方が清陽軒を出て独立、同じく明治通りの東の端である西鉄久留米駅周辺をテリトリーとして佐賀銀行前に屋台を出しました。これが大砲ラーメンの始まりです。その後、清陽軒の浩は2人の女の子を授かり、これを機に、浩は屋台を畳み、第一勧銀の斜向かい、ロータリー(今は普通の交差点)を挟んだ場所に店舗を構えました。それは昭和30年代後半でしたか、清陽軒の店舗時代の幕開けでした。店舗はやはり大繁盛、日本の高度経済成長と足並みを揃えたような、清陽軒大繁栄の時代でした。その頃、昇の大砲ラーメンといえば、まだまだ細々とした屋台生活から抜け出せず、僕も幼心に、清陽軒の羽振りの良さを羨ましく思っていた記憶が、かすかにあります。
 さらに時は流れ、平成の世となり、初代清陽軒店主である浩は引退、その跡を次女婿の一木公治君が継ぐのですが、職人気質で一本気な彼は、時代の波に乗ることを嫌い、平成18年、ついに安武町の最後の清陽軒の灯は消えてしまいました。しかしながら清陽軒の根強いファンは多く、その消えた灯を何とか復活させたいとの声が強まり、何と「清陽軒復活プロジェクト」なるものが、有志たちによって立ち上げられました。そしてついに本年(平成21年)四月に、新生清陽軒「久留米ラーメン清陽軒」としてオープンしたのです。当然ラーメンは、2代目の一木君の手によるもの。また店舗の構えも面白く、昔の第一勧銀前に佇む屋台をモチーフにしたデザインで、当時の清陽軒の在りし日の姿を懐かしむプロジェクトの有志たちの思いが伝わってきます。僕も微力ながらこの清陽軒復活には協力させていただきました。そこで感じたのが、久留米人は本当にラーメンが好きで、情熱的で、それが高じて、消えた1軒のラーメン屋を復活させてしまうという凄さです。頑張れ清陽軒、あの頃の輝きを、もう一度見せてくれ!

(2009年7月)