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第六十三話 初代熱風録(改)(2)

前回からの続き
 そんな「3度のメシより酒とケンカが好き」というオヤジ、たまの休みに飲みに出ても、毎回ケンカで殴った相手の返り血を浴びた姿で帰宅していたそうだ。母は「あん人に新品の白シャツを着せても、帰ってきた時にゃ赤シャツになっとる」と、いつも嘆いていた。幼児の私にはオヤジの顔が、絵本で見た金剛力士像とダブってしまい、オヤジが黙っているときの顔は吽形(うんぎょう)像に、怒って叫ぶときは阿形(あぎょう)像に見えて仕方がなかった。
 少々話は逸れるが、オヤジの屋台は明治通りの佐賀銀行前にあり、その銀行の裏、明治通りに沿うように、旧街道と云われる細い道がある。その道の傍らに、お地蔵さんが8つ列んでいた(今では小さな石碑だけ)。そこは八つ墓と呼ばれ、江戸時代、8人の僧兵が斬殺された場所という。そのお地蔵さんは、その僧兵たちを祀ったものであった。当時の私にはそんな歴史的なことなど知る由もなく、幼心に「このお地蔵さんは、オヤジにやられた人たちに違いない」と勝手に思っていた。
 そんなランボー者のオヤジにも、ちょっとした優しい一面を見ることもあった。
 それはある日のオヤジの屋台での出来事。ガランとした屋台に1人の男の客がフラリと入って来た。オヤジよりちょっと年下くらい。彼はあちこちのポケットをさぐりながら5円玉や1円玉をカウンターに並べ、ようやく数え終わると「オヤジさん、酒ば冷やで1杯くれんね」(昭和30年当時は酒1杯60円、ラーメンも同額)「はいよ」オヤジは7勺コップをカウンターにトンと置くと、1升瓶で並々と酒を注いだ。コップの口から溢れんばかりに揺れる酒の表面張力を見る彼の嬉しそうな顔を見て、オヤジは「こいつ、相当の酒好き。俺の仲間ばい」なんて思ったそうだ。ところが真の酒好きなら、その貴重な表面張力を壊さぬよう「口」から行く。しかしその彼は「手」を出してしまった。オヤジが「やばい」と思った瞬間、案の定表面張力は壊れ、さらにそのもったいなさに慌てたのか、コップそのものを倒してしまったのだ。後日オヤジはその光景をよく私に語った。「ありゃ、やっぱり酒好きばい。コップが倒れた瞬間、コップの口がカウンターに触れる直前に引き起こした。俺の伝説の左パンチ同様、そりゃ目にも止まらぬ早業やった」と。しかし物理の世界は非情なもので、酒好きの神技を以てしてもコップの中に酒は存在していなかった。いっときの沈黙。カウンターに広がる酒を見つめてうなだれる彼。屋台を開業したばかりのオヤジは一瞬考えた。「今日の客はこの兄ちゃんが始めて。こんな時間やから、この1杯が今日の売上かも知れん。ここで仏心を出したら今日は赤字ばい。ばってん、俺も男たい。同じ酒好き同志たい」オヤジはうなだれる彼の前の空コップに、ふたたび並々と酒を注いだ。「兄ちゃん、これが1杯目の酒。」その時の、彼の至上の喜びの顔と、その1杯を飲み干したときの満足気な顔がオヤジの心にずっと残ったそうだ。
 しかしその彼が、オヤジの屋台に再び現れることはなかったという。
次号へ続く

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