~前回からの続き~
やがてオヤジは、母との出会いをきっかけに一念発起し、テキ屋稼業からキッパリ足を洗い、夫婦で久留米の明治通りにラーメン屋台を出した。
初日の売上はわずか18杯。昭和30年当時のラーメンは1杯60円なので、その日のラーメンの売上は1000と80円。酒が何杯か出たとしても1200円か1300円といったところだろう。テキ屋時代ならひと口上で稼ぐ額である。それでもオヤジは覚悟の上。大砲の弾のように、一度飛び出したら再び過去に逃げ帰ることはしないという信念で、屋号を「大砲ラーメン」とした。翌日はその売上を手に汽車に乗り、熊本まで良質の豚骨と豚肉を仕入れに行く、そんな日が続いていた。ある日、こんなことがあったそうだ。
仕入れの帰り、オヤジはいつものように汽車の網棚に、仕入れた豚骨と豚肉を包んだ袋を置き、その下の席で腕を組んだまま居眠りしていた。前々回のコラムにも書いたが、オヤジの顔は黙っているときは金剛力士の吽形(うんぎょう)像、口を開けば阿形(あぎょう)像のような、どちらにしても恐ろしい顔をしている。この時の居眠りの顔も間違いなく吽形像そのものだったであろう。しばらくすると何やら腕に冷たい物を感じて、吽形像は目を覚ました。見ると自分の組んでいる腕が血で赤く染まっている。一瞬、いつものクセで「俺は今日、誰かデヤした(殴った)か?」と思ったそうだが、上の網棚を見ると、紙袋の中の凍った豚骨がいつの間にか溶けて、豚肉の血と共に袋の破れ目からしたたり落ちていたのだ。「こらイカン」と思った瞬間、その顔は吽形像から阿形像の顔にシフトした。オヤジがその顔のまま前の乗客を見ると、新聞を拡げた爺さんがいて、その新聞の一面には大きな見出しで「バラバラ殺人事件」の記事が。オヤジの隣の若い女性は、前の新聞見出しと、上の網棚の血のしたたり落ちる不気味な袋、そして顔が吽形から阿形へと変幻するモノノケのようなオヤジを見た途端、「ギャッ」と叫ぶなり、隣の車両へ逃げ去ってしまった。前の爺さんは、さらに流出量を増した袋から落ちる豚の血を、悪魔のミサのように浴び続けながら一段と凄まじい形相になったオヤジと思わず目が合ってしまい、恐怖のあまり金縛り状態。新聞を持つ指だけが小刻みに震えている。やがてその爺さんも、新聞を拡げて座ったままの格好で、カニのように横に移動を始め、やがて遠くへ消えてしまった。気が付くと、テロリストのような金剛力士の周囲には誰もいなくなっていた。
さすがのオヤジも次の駅で緊急下車。袋の問題を何とか処理して帰宅し、その夜は何事もなかったかのように、吽形像の顔でラーメンを作っていたという。メデタシ、メデタシ。
~次号へ続く~