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第八十八話 台風の夜

 今月、立て続けに九州を襲った二つの台風9号と10号、特に10号は近年にない猛烈な雨風と規模で伊勢湾台風なみと言われながら九州直撃のコースをたどっていた。当然私の会社の店舗も最接近時刻までに全店閉店して防災対策を施し、翌日は臨時休業とした。被害想定地域では各所に避難所が開設され、メディアは「命を守る行動を」と連呼し、街中異様な空気に包まれていた。我が家は横に川が流れているため、妻はマンション4階に1人住まい義父の元へ、私はアパート2階に住む息子の部屋(いずれもハザードマップで安全とされている土地)に避難した。当然、食糧と水、懐中電灯やオイルランタンなどを持ち込んだ。
 その間、私は忘れえぬ台風体験を想い出していた。それは小学校高学年の頃だったか、強烈な台風が久留米を直撃した夜のこと。当時は気象衛星などなく、天気予報や台風の進路予測は現在ほど精密ではなかった。私の家族も台風がこちらに向かっているらしいと言う情報は漠然と知っていたが、その日もいつも通り夕方7時に店を閉め、オヤジは晩酌を始めた。私は2階の子供部屋でマンガを読んでいた。やがて日が暮れると、外の風が次第に強くなってきたのか、木枠(木製のサン)の薄い窓ガラスがカタカタと鳴り始めた。夜も深まって来ると、それはバタバタという音になり、ガラスは木枠ごと唸りだし電気が消えた。すると母が階段を駆け上がって来るなり叫んだ「ヒトっちゃん!雨戸ば閉めんね!」。私と母はすかさず窓を開け、暴風雨にずぶ濡れになりながら戸袋からトタンの雨戸を引き出そうとしたその刹那、「ガシャーン」窓ガラス全面が砕け散った。すると「反対側の窓も開けんね!」またも母は叫んだ。暴風は横に逃さないと屋根が持ち上がることを母は知っていた。今となれば、床中砕け散ったガラス片と暗闇の中を私たちはどのように行動したか覚えてないが怪我をしたと言う記憶がないので、おそらく母は履物と懐中電灯を持って駆け上がって来たのだろう。
 オヤジは、かくも悲惨な2階の修羅場など全く気づかず泥酔して寝入っていたようで、台風一過の晴れ渡った翌朝オヤジは言った「台風は大したことなかったにゃ」。私は無性に腹が立った。

 そんなことを思い出しながらも、久々に息子と2人で楽しく過ごすうちに台風10号の夜は更けていった。2人していつの間に寝たのか、翌朝目覚めたら空は晴天。窓を開けると周辺に目立った被害はなく、ある意味拍子抜けした。聞けば台風10号は、その数日前に同じような進路をたどった9号によってかき混ぜられた九州周辺の海水温が下がり、その影響で九州に近づくにつれて勢いを弱めたという。しかし、台風は台風。最接近した明け方は、それなりに吹き荒れていたという。
 それを知らずに「大したことなかったにゃ」と言った私に、妻は呆れていた。やはりカエルの子はカエルであった。

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