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第百五話 ねえさん先生

 若かりし頃の吉田拓郎さんの歌に「夏休み」という歌がある。その歌詞に、〜ねえさん先生 もういない きれいな先生 もういない〜 というくだりがある。そう、「姉さん先生」とは、若い女性の先生のこと。「二十四の瞳」の「おなご先生」も、姉さん先生である。

 私は「夏休み」を聴くたびに、実在したある「姉さん先生」を思い出していた。その先生の名は泉先生。大学を出たばかりの、若くて優しく、きれいな先生であった。泉先生は小学1年生の私たちのクラスの担任で、先生自身も担任は初めてということだった。

 先生とのふれあいは、わずか1年間であったが、初めて小学生になった私たちには、とても楽しく、貴重な1年であった。今でも鮮明に憶えていることがある。それは図工の時間。そのときの課題は「好きな絵を自由に描く」というものだった(宿題だったかも知れない)。その頃の私は蒸気機関車(SL)が大好きだったので、それを描いた。絵の内容は、構図としては、画面中央左向きに1台の汽車が登り坂を懸命に登っている。その汽車の姿を、入道雲をバックにした上空のカモメが、汽車を応援するように見下ろしている、それを左上部に配したというもの。汽車の姿は、正面を「汗をかきながら歯を食いしばった人間の顔」にした。まるで数十年後の「機関車トーマス」の原点である(笑)。除煙板や動輪も、記憶通りに描いた。自慢話ではないが、その絵を提出すると、先生は目を丸くした。しばらく絵を見つめたあと、先生は私に優しく言った。「カツキ君、これは誰かの絵を見ながら描いたの?」。私は素直に、「いいえ、自分で(考えて)描きました。」と答えた。そのときの先生の美しい驚愕の顔はよく憶えている。その絵一枚で、その学期の図工の通信簿は、私にはその後も馴染みのない「5」であった。そういう事があってもなくても、大好きな泉先生だった。

 やがて季節はうつろい、先生と私たちにも2度目の春がきた。小学1年生、3学期の終業式の日、先生は教室の教壇に立った。担任としての、私たちへの最後の言葉である。私たちは姿勢を正し、静かにその言葉を待った。先生は、「初めて担任になって、皆さんと過ごしたこの1年・・・」それだけ言うと、泉先生は泣き崩れた。もう言葉が出ない。女子は皆、泣きはじめた。男子からも嗚咽がはじまり、教室は泣き声に包まれた。私も泣いた。

 そんな終業式、それから後も経験したことはない。素晴らしい「姉さん先生」だった。その泉先生、私はこの歳になって、またお会いしたいと思っているが、消息がわからない。57年前、久留米市立南薫小学校で私たちを愛してくれた泉先生、ご健在ならば連絡を頂きたいです。

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