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第百十四話 映画「ラーメン侍」幻の脚本③

前号からの続き

 今回の映画「ラーメン侍」幻の脚本シリーズは、色々の事情で撮影を断念したシーンを紹介したい。まさに読者しか知り得ない幻の脚本の中の幻のシーン、お楽しみいただければ幸いである。
 (「*」は、これまた幻のナレーション)

4 仕入れ修行

〜前略〜

 電車の中。仕入れ帰りの昇ときなこが並んで座っている。頭上の網棚には仕入れたばかりの豚肉と豚骨の紙包みがある。
 「いいかきなこ。久留米が品薄のときは、こげんして熊本まで仕入れに行くったい。俺が行けんときは、お前がこの要領で豚肉と豚骨ば仕入れて来い」
 昇は身振り手振りを加えながら伝えた。
 きなこはうつむいたままうなずいた。
 あとは無言の2人。静かに揺られている。車両の客は彼ら以外に7~8人ほど。車窓から吹き込む風が心地よいせいか、昇は腕を組んだまま居眠りをはじめた。きなこも続いて船を漕ぎはじめた。

* (光)『父ちゃんは、寝ても吽形(うんぎょう)像の顔でした』
 すると突然、昇の肩や頭に、赤い血のようなものが数滴落ち始めた。それは頭上の紙包みからたれ落ちているようだ。昇は気づかずに腕を組んだまま吽形顔で寝ている。 
 きなこも船を漕ぎ続けている。
 やがて紙包みの赤い染みが広がりはじめた。包みの中の冷凍の豚骨が、夏の陽気で解凍され、それが豚肉の肉汁と共に流れ出したのだ。その流量は一段と増し、昇の上半身を血まみれにしている。
 さすがの昇もそこで目が覚め、赤く染まった自分の腕や肩を見てぎょっとし、目を見開いた。

* (光)『そのとき父ちゃんの顔は阿形(あぎょう)像にシフトしました』
 昇はつぶやいた「俺、きょう誰かデヤした(殴った)か?」
 昇が〈こりゃイカン〉と思いながらも、阿形の顔のまま前を見る(というより睨む)と、正面の新聞を拡げて顔を隠した老紳士の指が、小刻みに震えている。
 船を漕いでいるきなこの横には若い女性が座ってる。この女性は、顔が吽形から阿形へとメタモルフォーゼするモノノケのようなオヤジと、生け贄(にえ)のようなきなこ、そして網棚の〈血の包み〉を見るなり恐怖で青ざめ、さらに前の老紳士の拡げた新聞の見出しを見て、凍りついた。

 そこには大見出しで〈バラバラ殺人〉小見出しで〈列車で運ぶ〉とあった。その瞬間、飛び血を浴びながら船を漕いでいたきなこが、熟睡のあまり、その女性に倒れ込んできた。
 女性は悲鳴を上げながら隣の車両に逃げ去って行った。
 昇は阿形のまま、まだ前の老紳士を睨んでいる。

*(光)『父ちゃんはその顔のまま思考が停止していただけです』
 老紳士は、新聞を拡げて座った格好のまま、カニのように横に移動しながら逃げ去った。やがて誰もいなくなった車両に2人はぽつりと座っていた。
 昇がつぶやいた。
「きなこ、こん次は、ナイロン袋ば忘れるな」

次号へ続く

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