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第三十六話 函館・塩ラーメンサミット・その2

 目をこらしてよく見ると、その湯気の向こうのオヤジ型の座敷わらしは、実はオヤジ型のラーメン屋でした(なら最所から「ラーメン屋のオヤジ」って言えよ!お前もそうやん!)その人は、函館の塩ラーメンを全国にブレイクさせた“マメさん”というラーメン屋さんのご主人で、大きな製麺会社の社長でもある岡田さんという、立派な初老の紳士でした(座敷わらしとか言ってゴメンナサイ)。
 互いに初対面だったのですが、岡田さんの方は、僕が支那そばやの佐野さんと共演したテレビを見ていただいてたらしく、「その後奥さんはどうですか?もう300日もかかる買い物には出られてませんか?」などと、僕のとっても恥ずかしいプライベートまでご存じなのです(テレビカメラの前でペラペラ喋ったのは自分やった、忘れとった)。
 そんなことより、岡田さんが一番興味を持たれたのは、僕が“久留米でラーメンフェスタを仕掛けたラーメン屋”という部分でした。一昨年、新横浜ラーメン博物館の出店をきっかけに全国に函館の名を知らしめた氏にも、かねてより「なんとか“塩ラーメン”で函館の町全体の活性化ができないか」という強い思いがあったそうです。氏が言われるには「それがある日、函館の町である史実が発見されたんです。それは、“南京ソバ15銭”と書かれた明治17年の小さな新聞広告でした。これは、函館(塩)ラーメンの始まりを示すものであり、この広告にある“養和軒”という店が、何と今までのラーメン史を覆す、日本最古のラーメン店ということが判ったんですよ」ということでした。
 そうです。久留米が“豚骨ラーメン発祥の地”なら、函館は“塩ラーメン発祥の地”だったのです。北海道の函館と九州の久留米、この南北1500kmの隔たりがあっても、同じような“ラーメン文化の素晴らしい史実”を持った2つの地域。その2つの町のラーメン屋のオヤジが、それも「ラーメンで町おこしをしたい」という同じ志をもった者同士が、なんと両者の中間地点のような静岡・熱海の温泉宿の風呂場でばったり出会ったのであります。
 「これを運命といわずして何といふ」であります。

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