ときどき耳にすることがあります。「あそこのラーメンはラーメンじゃなかばい。あら“支那しな そば”ばい」すると別の人が「バカタレ、そこのラーメンは透明スープやけん、支那そばじゃなか“塩ラーメン”たい。“支那そば”ちゃ醤油ラーメンの一種で、支那そばやの佐野さんが作っとるアレたい」まあ、そんな会話ですが、
実は両方まちがいであります。~透明スープだから塩ラーメン云々~については、あながち間違いではありません(厳密にはもっと細かな説明が必要)が、“支那そば”という呼び名についての定義は違っています。
“ラーメン”という麺料理が、その名で呼ばれるようになったのは、先日お亡くなりになった日清の創業者・安藤百福氏が、世界で初めてインスタントラーメンを考案され、それが“チキンラーメン”という名で世に出た年の昭和三三(1958)年からなのです(いらんこつですが僕もその年生まれ。ラーメンとの因縁か?)。
それ以前は、東京のラーメンも九州のラーメンも皆“中華そば”と呼ばれていました。事実そのむかし、大砲ラーメンの初代である僕の父の屋台にも、暖簾
のれん
には龍の絵の横に“中華そば”と書かれていましたし、その頃の写真もあります。そしてその“中華そば”は、いつからそう呼ばれるようになったのかと言えば、戦後間もない昭和二四(1949)年頃と言われています。それまでが“支那そば”と呼ばれていました。その“支那”という言葉が使われ始めたのは、明治二七(1894)年の日清戦争の頃からといわれています。当時の中国は「清」の時代でしたが、英国からはすでにChina(チャイナ:秦が語源)と呼ばれており、それを聞いた日本人は“シナ”と発音し、“支那”という字をあてたとされています。やがて昭和二四(1949)年の中華人民共和国の成立をきっかけに、「シナ」を改め「チュウカ」と呼ぶようになったそうです。
そしてその“支那そば”以前にも呼び名がありました。それがラーメンの最初の呼び名といわれております。それは“南京そば”といいます。実は数年前、その呼称が記載された最古の資料が、北海道の函館で発見されました。それは“南京ソバ十五銭”と書かれた明治十七(1884)年の小さな新聞広告でした。これが函館・塩ラーメンの源流であり、そしてその広告主の“養和軒”という店が日本最古のラーメン店であるといわれています。
したがってラーメンの呼び名の歴史を時系列にならべれば
(1)“南京そば”明治十七(1884)年以降
(2)“支那そば”明治二七(1894)年以降
(3)“中華そば”昭和二四(1949)年以降
(4)“ラーメン”昭和三三(1958)年以降~現在に至る
となります。
さて、いかがでしたか?一口にラーメンといっても、その呼び名は時代と共に変遷の歴史を刻んできたのですね。ちなみに、ラーメンの四大源流とされる“醤油ラーメン”“味噌ラーメン”“塩ラーメン”“豚骨ラーメン”は、ラーメンの壮大な(?)歴史の中で、各地域に発生し根ざしていたラーメンを、近年になって研究者やマスコミが分類化し名称をつけたものであり、どこの地域でもラーメンはラーメン。中華そばは中華そばと呼ばれ続けていました。
ということで、今やラーメンは。RA-MENという単語で、外国の辞書にも記載されるまでになり、ついに世界に誇れる日本の国民食となった観があります。
はい、今回のコラムはとっても勉強になりましたね(入試には何の役にも立ちませんが)。一杯飲んでラーメンを食べるときの話のネタにでもして下さいませ。