◆◇◆ 宮さまの替え玉(下) ◆◇◆
〜前回からの続き〜
さすが皇族、一目でわかるその品の良さ。殿下は笑みを湛えながら僕らに軽く会釈をされ、側近の方々に囲まれながら店内に入られました。店の周りはSPの包囲網。なんと物々しいラーメン屋でしょう。
実はその直前、店内ではある“事件”が起きていました。それは「さあ殿下のご到着」という時のこと、突然厨房の奥から悲鳴が聞こえたのです。驚いたO店長が駆け寄ると、バックヤード(裏方)が、何やら薬品的な異臭に満ちていました。見るとそこには、ずぶ濡れになったアルバイトのM君とT君が呆然と突っ立っていたそうです。
O店長 | :「どげんしたとか?」 | M君 | :(異臭の中、ずぶ濡れで)「何でもありません!」 | O店長 | :「うそつけ、その姿だけで何かあったのはバレバレやんか!」 |
状況はこうでした。
〜T君が“酢”の補充のために、頭上の棚にある酢のコンテナの蛇口をひねろうとしたところ、何と蛇口そのものを引き抜いてしまい、大量の酢が吹き出した。手伝っていたM君も同時に全身酢まみれになってしまった。“ずぶ濡れ”と“異臭”の原因は“酢”であり、“悲鳴”は“蛇口が抜けた瞬間”の時のものと判明〜
O店長は、殿下がお帰りになるまでバックヤードを閉鎖し、“酢自爆テロ”の二人はその“酢のガス室”に隔離することにしました。 そんな騒ぎを知る由もない殿下は、奥のカウンターにお座りになりました。同時にスーツ姿の九人の店長たちは速やかに店内の配置につきました。麺揚げ担当・スープ担当・盛り付け担当・提供担当etc、そして僕は“殿下担当”。
一杯のラーメンのための前代未聞のオールスターです。殿下のご所望は「昔ラーメン」でした。 店長たちは早速調理開始。提供をお待ちになる間、殿下は「とんこつラーメン発祥の地・久留米のラーメンを、私は楽しみにして参りました」などと、僕に気さくに話しかけられました。世が世ならば、御簾(みす:宮廷のすだれ)の向こうの方です。僕はそんな殿下のお人柄につい引き込まれてしまい、久留米ラーメンの色々な話をさせていただきました。 やがてラーメンをお出ししたら、一口いただかれて一言「…美味しいですね」。有り難いお言葉でした。そして殿下は先に麺だけ食べられると、何と替え玉を所望されたのです。驚いた僕は厨房の店長に伝えました。
「殿下は替え玉げなばい」 | 「えっ?あの方はニセモノですか?」 |
「バカタレ!その替え玉じゃなくて“替え麺”のことたい。ばってん麺だけやったら失礼やにゃーー…。この際スープも入れてくれ。それも何か素ラーメンみたいで失礼やにゃー…。ええい、具も全部乗せてくれ!」 |
ということになり、思わず「“替え玉”という名の“一杯の昔ラーメン”」を作ってしまいました。殿下は「久留米の替え玉は変わっていますね」と思われたかどうか、それでも見事にスープも残さずお召し上がりになりました。 その後僕は殿下との記念写真を撮っていただき(皇族の食事中の撮影は不可。食事後専属のカメラマンによる撮影のみ可という決まりがある)、殿下のラーメンお食事は無事終了と相成りました。
ご満足気にお帰りになる殿下を店長全員整列でお見送りしながら、僕は「この方は本当にラーメンがお好きなのだな、そして何よりも庶民がお好きなのだ」と、殿下の後ろ姿に深く感じたのを憶えています。
その高円宮憲仁親王殿下は、このひと月後の平成十四年十一月二十一日、四十七歳の若さで急逝されました。 僕の中では、高円宮殿下は平成の黄門さまです。本店には、あの日の殿下との記念写真を飾らせていただいています。 庶民が作り、庶民が食べるラーメンを、平成の黄門さまは今も優しく見守ってくれています。 殿下のご冥福を心からお祈りして、このシリーズを終わらせていただきます。
− 次号 乞うご期待 −
(2004年4月)
p.s その日僕たちは、酢のガス室の二人を解放するのをウッカリ忘れて帰リました。 |