01分類化されたラーメンの混乱 02「清湯系」と「白湯系」 03ラーメンスープの新分類化の提言 04「呼び戻しスープ」と「取りきりスープ」 05麺について

香月均史のラーメン学/香月均史流「ラーメン史基礎講座」

 日本のラーメンは明治4年の日清修好条約後、横浜・神戸・長崎に置かれた中国人居留地(南京街……今の中華街)に誕生した中華料理店の麺料理が、一般的にはそのルーツといわれております。ところが、ラーメンは中華料理店で食べる中国の麺料理からいつのまにか独立してしまい、今や新たな日本の国民食になってしまった感があります。  そのラーメンが南京街を飛び出したのが明治の後期、「支那そば」(または「南京そば」)という名で東京の屋台にちらほらと姿を現しはじめ、やがてその味は、日本人の手で日本人に合うように改良されて、現在のラーメンの原型が形づくられてきました。  やがて「支那そば」は戦後「中華そば」、そして「ラーメン」と、その名を変えながら現在に至っています。ちなみにそのラーメンを「九州ラーメン」「東京ラーメン」「札幌ラーメン」と、大きく三つの源流に分けると、その発祥の〝店〟は次のようになります。  まずは明治43年東京・浅草の「来来軒」。横浜の中華街を飛び出した支那そばがこの店で大評判となりました。この支那そばが、東京ラーメンの原型と言われています。  次に大正12年、札幌農大(現在の北海道大学)前にあった「竹家食堂」。農大の中国人留学生のために出していたこの店の「拉麺」が現在の札幌ラーメンの源流と言われており、またその「拉麺(ラーミェン)」が「ラーメン」の語源となったという説もあります。  そして最後の源流は、久留米の屋台「南京千両」を発祥とする「九州ラーメン」。この店は創業者・宮本時男氏が、昭和12年に開業しており、その発祥の屋台が現在でも営業されているというのは、ラーメン史の奇跡とまで言われております。

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