ラーメン今昔物語(27)  −愛の貧乏脱出大作戦A− 

ラーメン屋のH.K 
          
 七月二十日・修行初日。貧乏脱出をめざし意気揚々と現れた中山さんは、とっても元気でした。 絵に描いたようなハリキリおじさんです。
そんな彼に、僕はいきなり“駐車場整理”を命じました。 場所はTラーメン合川店駐車場。バイパス沿いのこの店は、一日の客数が千人を超え、そのほとんどは自家用車による 来店という、極めて忙しい郊外型の店です。   その日は朝からの猛暑で、日の出と共に急上昇する気温は、 午前十一時にはもう三六度に達していました。そんな。靴底を溶かすほどに灼けた炎天下のアスファルトの上で、 彼の修行が始まったのです。

  ところで今回の“修行”に、僕はあらかじめテーマを決めていました。 ラーメンに限らず他のあらゆる職人の世界も同じと思いますが、僕たちの“呼び戻しスープ”の技術も、 わずか1週間足らずの修行期間で取得することなど、経験者でもまず不可能です。 “呼び戻しスープ”の洲業はこの番組の収録が完全に終了して、ゆっくり、何年も時間をかけて教えることにしました。 弟子が入門を希望する、そのきっかけは“テレビ”でも“職業安定所”でも、同じこと。「縁は縁」です。 僕は中山さんを本物の外弟子にする決心をしました。

  ひとりの人間の、生活や人生を左右するような役を引き受ける以上、当然の決心でしょう。 そして、この(番組上の)修行では、彼に技術よりも、僕自身の“思い”を伝えることにしました。 それは「来てくれるお客さんにありがとう」「職場の先輩・同僚・部下にありがとう」「自分の家族にありがとう」 そんな思いを伝えたい・・・。 そう、この修行のテーマは「感謝」です。

  ところが、そんな師匠の思いなど知る由もなく、目下駐車場整理中の弟子。 「オーライ、オーライ、ストォーップ!」 午前十一時にスタートし、陽が傾きかけても次から次へと押し寄せる車に向かって、この繰り返し。 体力には自信があるはずの彼も、最所の気合いは次第に薄れていきました。 さらに、昼間の太陽熱を思い切り吸い込んだアスファルトの駐車場は、陽が沈んでも気温は一向にさがらず、 オマケにこの日は風のない熱帯夜でした。 人間、疲労が極限に達すると、その人の顔からは一切の装飾的な表情は消え、 その時の心そのまんまの顔になるようです。 一見無意味とも思えるこの苦しい単純作業の繰り返しの果てに、全身水を浴びたような汗とホコリで無惨な姿になった 彼の顔からは、笑顔は完全に消え、その目は“疲労”から“疑問”、そして“恨み”の色へと変化していきました。

  初日の修行は駐車場整理のみ。深夜二時に終了。 やっと帰りついた旅館の階段を這うように上がり、部屋の布団に座り込み、思い詰めたように一点をにらむ彼に、密着のテレビクルーが質問しました(当然僕はこの場にはいません)。 「今日の修行から何か得るものはありましたか?」中山さんは吐き捨てるように言いました。
「まったくありません。こげんこと(駐車場整理)して、自分は修行で来とっけんが、意味がなか!」

  そして翌日、修行二日目の朝。約束の時間に彼は来ませんでした。

− 次号 乞うご期待 −