当店の店内には「矢部村立 飯干小学校」木造校舎の一部を移設させていただきました。

 今や豚骨ラーメンになくてはならない“紅生姜”。

そのルーツは、戦後久留米のラーメン屋台が中国産メンマ

の代用として八女産の“干し竹の子”を食紅で染めたものと

されており、それは当時“シナチク”と呼ばれていた。

近年“干し竹の子”は流通から姿を消し、昔の“シナチク”の

再現は不可能といわれていましたが、大砲ラーメンの

昔ラーメン』の“シナチク”は、八女郡矢部村の竹の子栽培

農家の方々のご協力によって完全に再現されました。

 

教室のガラス窓は、
客席と厨房の仕切り窓に使用しています
大きなテーブルは、
古材ならではの温もりを感じます

職員室の黒板は、
そのままメニュー板になりました

 

〜清流/矢部川の源流に位置し、かつて福岡県最後の秘境といわれていた矢部村〜

 私たちは“干し竹の子”の縁で、矢部村の方々とお付き合

いをさせていただく中で、この村のもうひとつの“すばらしい

もの”を見つけました。その名は「飯干小学校」です。

 懐かしい木造校舎のその小学校に、私たちが初めて訪れ

たのは平成12年の寒い冬の日でした。驚くことに13名の全

校生徒が皆、裸足で駆け回っているのです。そして見ず知

らずの私たちにも『こんにちはー』と元気な挨拶。都会の小

学校がなくしてしまった、日本の小学校とその子供たちの

すばらしい原風景がここには残っていました。

 ところがこの小学校も平成12年廃校になり、翌年校舎も

取り壊されるということでした。残念なことです。よそ者なが

らも何かの縁、『なんとかこの子供たちに、思い出の校舎の

一部でも残してあげたい』という私たちの思いは、矢部村の

原嶋村長を始め村民の皆様のご理解をいただき、この度、

大砲ラーメン小郡店に校舎の一部を移設していただけること

になりました。

 

昔ラーメンとは